マグミクス 2.26
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マンガで作者がキャラクターとして登場する場面が時折見受けられます。昭和時代の作品が多いようですが、果たして時代による変化はあるのでしょうか。
●手塚治虫と登場人物の応酬がすごい…でもその文化はだんだんと減っていく?
名作マンガにはよく「作者」が登場してきました。ギャグだけならまだしも、まあまあシリアスな場面でも、です。おそらくは日本独自の文化(ノリ)であろうこの演出は、果たして今でも残存しているのでしょうか。この記事では具体的に「作者が出てくるマンガ」の実例をあげつつ時代をくだっていきたいと思います。
●超大御所がやっているのだもの…キャラとしての作者
作者が登場するマンガにも二種類あると言って良いでしょう。ひとつは文字どおり、作中人物として作者が登場するというもの。そしてもうひとつはページに別枠を設けて、解説人物として登場するというもの。まず前者の例をみていきましょう。
『サザエさん』(1946年開始)の長谷川町子先生もたびたび、作中人物として出演していました。たいていは、メタ的な発言をしていわゆる「楽屋オチ」を迎えるというものです。
さらにマンガの神様・手塚治虫先生もまた自分の作品によく出演しています。多くはメタギャグという要素が強いのですが、なかには一概にギャグと言い切れぬ出演もあります。たとえば天才役者にして大泥棒が主人公の『七色いんこ』(1981年開始)では、自らの心身症の設定を消すよう、作者手塚治虫氏に直談判するとんでもない場面が描かれます。この時の応酬は演劇論にも通じており、作者登場回のなかでもやはり神様級の面白さを誇っています。
また『タッチ』(1981年開始)などで知られる巨匠あだち充先生もまた「急に出てくる作者」のひとりです。サンバイザーにメガネで巨大なペンを持ったおなじみのあだち先生がふらっと現れて、何か言い訳めいたことを言って去っていくのが通例です。これを含めてあだち先生の作風と言っても過言ではないでしょう。
2000年前後でもこうした作者登場の文化(ノリ)は残っています。例えば1997年に連載開始された『世紀末リーダー伝たけし!』の作者、島袋光年先生も「しまぶー」として準レギュラー出演しています。
●解説者としての作者の登場は?
以上は「作中人物としての作者登場」ですが、「解説人物としての作者」はどんな例があるでしょうか。有名作品でいえば『SLAM DUNK(スラムダンク)』(1990年)の井上雄彦先生の分身である「Dr.T」が挙げられるでしょう。作中の随所でバスケ用語やルールの解説をしてくれました。作中人物ではなく、あくまでも分身キャラが説明するところにこだわりを感じます。
少女マンガですと『ちびまる子ちゃん』(1986年)は代表例と言っていいでしょう。さくらももこ先生のちょっとしたエピソードや暮らしの知恵(のようなもの)がストーリーに応じて挿入されることは多くの方からすればおなじみ。ほかにも1999年連載開始の『GALS!』の藤井みほな先生であれば、同じページ内に欄を設けてそこで心境を吐露したり、お気に入りのグッズを紹介したり、割と自由に出演していました。
作者による解説がもっとも前景化している作品は2000年から連載開始された格闘マンガ『ホーリーランド』でしょう。ストーリーの途中で突然、森恒二先生の一人称で語られるナレーションが挿入されることで有名です。先生は姿こそ現しませんが、どの作品よりも強烈な存在感を放っていたといえるでしょう。
ここまで紹介してきた作品に通底するのはやはり、メタ的要素を許容するコメディの基盤があること。ストーリーすら茶化せる気軽さが必要でした。例えば『ONE PIECE』のなかでとつぜん尾田先生が登場してしまえば、これまで積み上げてきた世界観を壊すことになります。逆に手塚先生がストーリーマンガでさえもこの手法を用いていたことには改めて驚かされます。
そして、令和の現在において作者登場文化はどうなっているのでしょうか。例えば『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴先生は単行本のオマケマンガで登場する程度です。『呪術廻戦』でも芥見下々先生が突然、登場して虎杖たちと話すなんて展開はありません。もしかしたら、これまで紹介してきたように作者が登場人物とからむような演出は減っているのかもしれません。なお作者が「解説」を担うマンガはまだ時折、見受けられます。
浅学の私見ながら作者登場文化は1990年代から2000年代にかけて緩やかに登場人物路線から解説者路線へと変更していった、そう解釈しても不自然ではないでしょう。果たしてこれが令和時代にどう変わっていくのか、要注目です。「作者とキャラとの距離感は明らかに時代を反映している! そこまでは分かる」この記事の筆者はそう言っています。
江口・かわいこぶりっこ・寿史
江口・キャンディ・寿史
小林よしのりだろwww
鳥山明
誰でも顔知ってんのは赤塚不二夫永井豪石森章太郎あたりかな
昔の漫画は多かったなー
今はあんまりないかもな
出たがりの人はエッセイ漫画にしちゃうし
アオイホノオで見たが昔の島本和彦はやってたようだ
手塚治虫はバンパイヤで主要キャラの1人でロックに*れかけたし、水木しげるも自分の漫画によく登場していたな
ねずみ男がオナラ真理教を作ってオナラの力で空中浮揚をして、地下鉄にオナラをまく計画を察知して、水木しげるが青島都知事に相談に行ったら
都議会に虐められててそれどころじゃないと言われてた
あの時期によくあんな漫画を描いたと思うけど
銀魂くらいじゃねーの
ゴリラだけどさ
原作改悪してアニメの監督が出てくるのもあるよなエクセルみたいに
>>12
これな
今の重版だと1ページまるごとバイクのイラストに差し替えられてるんじゃなかったっけ?
自ら「手塚システムの後継者」を名乗った、とり・みきは隙あらば作者が出まくってたなあ
釣りキチ三平の世紀のハンサムボーイ
お迎えでごんす
クレしんの映画
おぼろ車は水木先生の家が舞台だったな
いしかわじゅん、吾妻ひでお、あたりは本人が主役みたいなのが結構あったような。
内山亜紀…はあだち充のパロか?w
梶原一騎も作中で解説よくやってた気がする(登場人物として解説するパターンも)。
新沢基栄
ゆでたまご
昔やってた人も今はやらないこと多いけど、あだち充とかは今でも結構やってるかな
えんどコイチだろ
担当も4人くらい出てた
>>22
えんど、新沢、鳥山はよく担当出してたな。本編じゃなかったかも知れないが
Dr.スランプ
あだち充だな
ふにゃこふにゃお
山岸凉子はやってるな
しまぶくーーーなんでかーーー
漫F画太郎だろ
キャラが言うこと聞かないとストーリーというか設定に介入した
鳥山明
枠外コメントは完全に消えたな
>>32
枠外コメントはシティーハンターがよくやってたな
>>32
バスタードがくそうざかった
>>32
〇〇先生アリガトーとか
ゆうきまさみ
永井豪とか?
鳥山明もスランプの頃はよくやってた
漫画のサンダーマスクは手塚が主人公みたいなもんだったよな
やなせうさぎ
編集者が出てきたのだと、俺が知ってる範囲では赤塚不二夫の「レッツラ☆ゴン」かな
赤塚漫画で最もナンセンス度の高いマンガで、タケイ記者というのがよく出てきてた
岸辺露伴
リングにこけろ
「まことちゃん」で頻繁に見かけた気がする
手塚作品は
作者が出てくるのと
キャラが急に次のコマで
デフォルメされてるところが
慣れるまでに結構気になった
結構シリアスなシーンでも挟んでくるし
サルマンは神作品
一時期週刊少年ジャンプは、作者がでたり担当編集者がむごたらしい目にあっていたな
そういう事があった作品は今の所、銀魂が最後か
奇面組
ターちゃんの作者もよく出てたイメージ
今はTwitterがあるからな
うざいくらい前に出てくる作者自体は存在し続けている
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